大阪高等裁判所 昭和62年(ネ)1022号 判決 1988年7月28日
控訴人 甲野春子
右訴訟代理人弁護士 島村和行
被控訴人 株式会社 尾崎電気商会
右代表者代表取締役 尾崎一義
<ほか二名>
被控訴人ら三名訴訟代理人弁護士 川岸伸隆
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
一 申立
1 控訴人
(一) 原判決を次のとおり変更する。
(1) 被控訴人株式会社尾崎電気商会及び被控訴人尾崎廣美は、控訴人に対し、各自金五九二万二一四一円及びこれに対する昭和五六年六月一五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(2) 被控訴人大東京火災海上保険株式会社は、控訴人に対し、被控訴人株式会社尾崎電気商会に対する右判決の確定を条件として、金五九二万二一四一円及びこれに対する右判決確定の日の翌日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(二) 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。
(三) 仮執行宣言
2 被控訴人ら
主文第一項同旨
二 主張
次に付加、訂正などするほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。
1 原判決四枚目表八行目の「尾崎電気と」の次に「被控訴人尾崎電気を被保険者とする」を、一〇行目の「負うところ」の次に「、被控訴人尾崎電気は無資力であるから」をそれぞれ加える。
2 同四枚目裏一行目から七行目までを次のとおり訂正する。
「(一) 治療費 一三〇万九三三一円(うち一二九万〇一九〇円は受領済み)
(二) 親族による入院付添費 二万一〇〇〇円(吉本外科医院入院六日分)
(三) 入院雑費 三万七〇〇〇円(入院三七日分)
(四) 後遺障害による逸失利益 一八四万五〇〇〇円
控訴人は、昭和五七年三月乙山専門学校卒業後就職の予定であったところ、本件事故による後遺障害のため長らく就職することができず、卒業後一五か月を経過した同五八年七月になってようやく丙川株式会社に就職することができたものであるが、昭和五七年賃金センサスによれば当該年令の女子労働者の平均賃金は月額一二万三〇〇〇円であるから、控訴人はその間、少くとも一八四万五〇〇〇円の得べかりし利益を喪失したことになる。
一二万三〇〇〇円×一五か月=一八四万五〇〇〇円
(五) 慰謝料 四〇〇万円
入通院の日数、後遺障害の内容程度等を斟酌すれば四〇〇万円が相当である。
以上合計七二一万二三三一円」
3 同四枚目裏八行目から一一行目までを次のとおり訂正する。
「よって、控訴人は、被控訴人尾崎電気及び被控訴人尾崎に対し、各自前記損害額合計七二一万二三三一円から治療費の既払額一二九万〇一九〇円を控除した五九二万二一四一円及びこれに対する本件事故の日の翌日である昭和五六年六月一五日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求め、被控訴人尾崎電気に代位して被控訴人大東京火災に対し、被控訴人尾崎電気に対する右判決の確定を条件として、右五九二万二一四一円の保険金及びこれに対する右判決確定の日の翌日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。」
4 同五枚目裏七行目の「被告尾崎電気」の次に「及び被控訴人尾崎(両名の代理人は、被控訴人尾崎電気との自動車保険契約に基づいて示談権限を有する被控訴人大東京火災(担当社員渕田孝)である。)」を加え、一〇行目の「という。」を「という)。」と訂正し、末行の「一切の損害」の後に「(入院雑費、通院費、慰謝料、後遺障害である顔面醜状痕による損害等を含む)」を加える。
5 同六枚目裏三、四行目の「なお、」から八行目の「べきである。」までを削除し、一一行目の「太郎が、」の次に「代理人太郎に本件示談契約締結の件を委任する旨を記載した花子作成名義の委任状を持参して呈示するとともに、親権者代表父太郎として締結したものであるから、」を、一一行目の「締結したもの」の次に「というべき」をそれぞれ加える。
6 同七枚目表三行目の「被告ら」を「前記被控訴人尾崎電気、同尾崎の代理人である被控訴人大東京火災の担当者」と訂正し、三、四行目の「本件示談交渉の経緯から、」を削除し、五行目の「かつ」の次に「右4のような事情等により」を加える。
7 同七枚目裏五行目と六行目の間に次のとおり挿入する。
「8 なお、被控訴人尾崎電気は、控訴人に対し、他に入院雑費分として五〇万円を支払済みである。」
8 同七枚目裏末行と同八枚目表一行目の間に次のとおり挿入する。
「(一) 本件示談契約は、太郎が控訴人の母花子の委任状を偽造して締結したものであり、被控訴人大東京火災ないし同被控訴人の代理店であって大東京火災側の者として本件示談に関与した訴外石原正人(以下「石原」という)は、太郎が母花子から代理権を授与されていないことを知っていた。仮に知らなかったとしても、石原は、控訴人及び花子に示談の意向がないことを知っており、花子も石原に対し、示談をするときは必ず自分に連絡するよう頼んでいたのに、花子に連絡しないで示談してしまったこと、石原は、他人に欺され易い太郎の人柄をよく知っていて、示談をするときは受領した示談金は花子の口座に入れたほうがよいとアドバイスまでし、常に花子の意向を確認しておく必要があることを知っていたのに、本件示談契約書作成の際の必要書類として花子の印鑑証明書を徴求しようとせず、花子の筆跡によるものでないことが一見して明らかな花子名義の太郎宛委任状を真正なものと軽信してしまったこと、示談金の振込通知先を被害者である控訴人本人及び花子の住所地でなく、わざわざそれを避けて太郎の経営する会社の所在地とするようにとの太郎からの指示があったことなどの諸事情からすると、被控訴人らの代理人が太郎に花子を代理する権限があると信じたことには過失があるというべきである。本件において、仮に被控訴人ら主張の表見代理が成立しうるものとすれば、その要件となる太郎の基本代理権は親権に含まれる法定代理権ということになるが、この代理権は本人である控訴人が授与したものではなく、本人は太郎の無権代理行為に全く原因を与えてはいないのであるから、本人の静的安全をより厚く保護するため、相手方の過失が広く認められて然るべきである。
(二) 共同代理の定めがある場合は、一人の代理人が意思表示を受領しても、他の代理人又は本人に伝達しないという意味での消極的濫用はありうるのであるから、受働代理であるからといって、共同代理人各自が単独でなしうるということはできず、同様に、弁済の受領であっても代理人全員が共同でしなければならないというべきである。
(三) 交通事故の被害者の示談契約は、示談金の支払を目的として締結され、示談金の支払によってその目的を達するものであって、示談契約の締結と示談金の支払とは不可欠であるから、示談契約締結権限のない者は、示談契約の目的である示談金の受領権限も有しないし、示談契約について表見代理が成立しないときは、示談金の弁済が債権の準占有者に対する弁済として有効となることもない。本件において、本件示談契約締結について被控訴人ら主張の表見代理が成立しないことは右(一)のとおりであるから、被控訴人大東京火災が太郎に示談金を支払った際、同被控訴人は太郎にその受領権限がないことを知っていたか又は知らなかったことに過失があったというべきであり、したがって、太郎に対する右弁済は、控訴人に対する弁済としての効力を生じないものである。」
9 同八枚目表二行目と三行目の間に「6 同8は争う。」を挿入し、六行目の「被告らにおいて」を「被控訴人尾崎電気、同尾崎の代理人である被控訴人大東京火災は、」と訂正する。
三 証拠《省略》
理由
請求原因1(本件事故の発生)、同2(控訴人の受傷)、同3(責任原因)の事実は、控訴人の通院、控訴人に生じた後遺障害、被控訴人尾崎電気が無資力であることを除いて当事者間に争いがない。
二1 控訴人は、右通院、後遺障害によって生じた分を含め、本件事故により合計七二一万二三三一円の損害を被り、そのうち一二九万〇一九〇円(治療費)の弁済を受けたので残金五九二万二一四一円の損害賠償請求権を有する旨主張するところ、控訴人が昭和三七年九月一四日生まれの女性であり、父太郎及び母花子が控訴人の法定代理人親権者であったことは当事者間に争いがなく、《証拠省略》によれば、被控訴人大東京火災は、被控訴人尾崎電気との間で締結した自動車保険契約に基づき、被保険者である被控訴人尾崎電気が被保険自動車の所有等に起因して損害賠償責任を負担することによって被る同被控訴人の損害をてん補するため、保険金額の限度内で被害者である控訴人に保険金を支払う義務を負担する(いわゆる直接請求権)とともに、被控訴人尾崎電気のために控訴人と示談を行う権限を有していたこと、右権限に基づいて被控訴人大東京火災(担当者渕田孝)は、昭和五六年一一月五日、被控訴人尾崎電気を代理して、控訴人の父であり母花子の夫であって、控訴人の親権者を代表したと称する太郎との間で本件示談契約を締結し、これに基づいて、被控訴人尾崎電気は同月一一日に二〇〇万円を、被控訴人大東京火災は同月一六日に控訴人の主張する前記損害賠償金を遥かに上回る一一〇〇万円を、それぞれ太郎に対して支払ったことが認められる(《証拠判断省略》)。
ところで、右合計一三〇〇万円(以下、「本件示談金」という。)の支払が控訴人の被った本件損害賠償債務の弁済として有効であるならば、控訴人の主張する損害及びその額が全て認められるとしても、被控訴人らの主張する本件示談契約が控訴人との間でも有効であるか否かにかかわらず、控訴人主張の損害賠償債権は損害の填補により消滅することになるので、まず、右弁済が控訴人に対しても効力を生じたものであるかどうかについて検討することとする。
2 右1の事実によれば、控訴人は、太郎が本件示談金を受領した当時も未成年者であり、父太郎及び母花子の親権に服していたことが明らかであるところ、父母の婚姻中は、親権は父母が共同して行うものであるから、本件示談金についても、本来、太郎と花子とが共同して受領すべきもののごとくである。
しかしながら、債務の弁済は、すでに発生している法律関係を決済するだけで本人に新たな利害関係を生ぜしめるものではなく、本人に不利益を及ぼす危険もないので、法定代理人が自己又は第三者の利益を図る目的で弁済を受領するものであることを相手方において知り又は知ることを得べかりし場合等の特段の事情のない限り、父母の一方がこれを受領したときでもその効力を妨げられることはないものと解するのが相当である。
しかるに、《証拠省略》によれば、太郎は、被控訴人大東京火災から支払を受けた本件示談金のうち一〇〇〇万円は自己の経営する会社の運転資金として費消し、残余の三〇〇万円は本件示談交渉に関与して被控訴人らとの交渉を進めてきた訴外直井一夫(以下「直井」という。)に謝礼として支払ってしまったことが認められ、右認定事実からすれば、太郎としては、当初より自己及び第三者の利益を図る目的で本件示談金を受領したものと推認せざるをえないのである。
3 そこで、本件示談金支払の際に被控訴人大東京火災が太郎の意図を知っていたかどうかを検討することとなるが、本件にあらわれた全証拠によるもこれを認めることができないので、以下、同被控訴人においてこれを知ることを得べかりし状況が存在したかどうかについて判断する。
《証拠省略》によれば、本件示談金支払に至る経緯として、次の事実が認められる。
(1) 太郎は、本件事故当時から後記の本件示談契約締結までの間、従業員約一〇〇名を使用して、自動車部品等を製造する甲田工業株式会社を経営し、控訴人及び花子と同居して通常の家庭生活を営んでおり、夫婦仲が格別悪いということもなかった。
(2) 被控訴人大東京火災の代理店を営んでいる石原は、被控訴人尾崎電気と被控訴人大東京火災との自動車保険契約が自己の仲介により締結されたものであることから、本件事故後保険金が円滑に支払われるよう、昭和五六年七月頃から、控訴人側と被控訴人らとの間を斡旋し、双方の意向をそれぞれ相手方に伝えるようになった。
(3) 太郎は、同年七月頃、知人の紹介で直井を知り、花子の同意を得て、直井に対し、本件事故に関する示談交渉を委任し、自己が経営する甲田工業株式会社の渉外部長の肩書のある名刺を使用することを許諾したところ、直井は、右の名刺を使用し、その頃より控訴人側の代理人として被控訴人大東京火災との間で示談交渉を進め、同年八月五日には、控訴人宅で、太郎及び花子が同席する所で石原に対し、早期に示談に応じるよう求めた。もっとも、花子は、本件事故により控訴人の顔面に傷がついたことや加害者である被控訴人尾崎に対する憤りからかなり感情的になり、直ちに被控訴人側と和解する気にはなれない様子であったので、直井が早期に示談を成立させる方が得策であるといって花子を宥めるような一幕もあった。
(4) 本件事故の示談に関する被控訴人大東京火災の担当者であった訴外渕田孝は、控訴人側が早期の示談を望んでいるとの報告を石原から受けたため、被控訴人側においても早期解決に努めることになったが、控訴人の顔面の傷痕は後遺障害として残る可能性があり、後遺障害による損害をも含めて示談をするには自賠責保険調査事務所から後遺障害等級の事前認定を受ける必要があったことから、控訴人の後遺障害の程度を把握するため、八月一二日石原及び右渕田の部下の榎本の両名が控訴人方を訪れ、控訴人の顔面の写真を撮影した(同月二四日に再度撮り直し。)。これらの写真を検討した結果、右渕田らは、控訴人の顔面の傷については後遺障害診断書があれば右事前認定が受けられる可能性があるとの結論に達したので、同月二九日、渕田、榎本及び石原が、直井、太郎の両名と会い、医師から後遺障害診断書を取り付けるよう依頼するとともに、控訴人側の要求する示談金の額について打診した。これに対し、直井及び太郎は、二〇〇〇万円を提示したが、この金額は、被控訴人側が控訴人の後遺障害等級を一二級と予想して考えていた金額(約五〇〇万円)と大きく隔たるものであった。
(5) 右のような交渉の過程において、石原及び渕田らは直井の言動、態度などから同人がいわゆる示談屋ではないかとの疑いを持つようになったため、石原から花子に対し、直井を示談交渉から外して弁護士に交渉を依頼するよう勧めるとともに、示談成立の際の示談金の振込先も、直井の銀行預金口座にしないで花子の口座にした方がよい旨忠告したが、花子は、示談は全て直井に任せているので同人を交渉から外すことはできないが、示談の結果は直接花子にも知らせて欲しい旨答えるだけで直井を示談から外そうとはしなかった。
(6) その後、同年一〇月二二日、榎本及び直井は、控訴人と同道して関西労災病院に赴き、同病院の谷口医師に控訴人の後遺障害についての診断書の作成を依頼したところ、同医師は控訴人を診察した上、同日付けで、「控訴人の顔面に瘢痕を残し、右頬部の瘢痕は赤味をおびて目立ち著しい醜状を呈する。顔面の瘢痕、右頬の赤味、醜状の程度は受傷後六か月を経過した時点でも不変であり、これらの障害は本件事故と因果関係を有する。」旨の自賠責保険後遺障害診断書を作成し、被控訴人大東京火災に交付した。そこで同被控訴人は、これを自賠責保険調査事務所に提出して控訴人の後遺障害等級の事前認定を求めたが、同月三〇日にいたって、控訴人の後遺障害(顔面醜状痕)につき、自賠法施行令別表3後遺障害等級表の七級一二号に該当する旨の自賠責保険調査事務所の事前認定がなされたので、その認定結果を受けて、同年一一月二日頃、渕田とその上司が直井と会い、示談金額についてさらに交渉したところ、被控訴人が既払金のほか一〇〇〇万円を提示したのに対し、直井は一三〇〇万円を要求した。そこで右渕田らは、差額三〇〇万円についてその一部を被控訴人尾崎電気に負担させることにより、控訴人側の要求に応じることができないかを検討することになり、石原を通じて、被控訴人尾崎電気に示談金二〇〇万円の負担を求めたところ、同被控訴人がこれを了解したため、被控訴人大東京火災が残額一一〇〇万円を負担することとして直井の要求に応じることとし、同月四日、渕田は直井に架電してその旨を伝え、翌五日に被控訴人大東京火災大阪支店で示談書を取り交わす運びとなった。
(7) かくして太郎は、被控訴人大東京火災からの指示により、示談書作成の際に必要な住民票、印鑑証明書を取り寄せたが、控訴人には再手術の必要があるとの理由から花子がなお早期の示談成立には消極的であったため、花子に無断で、太郎を代理人として本件事故についての示談締結及び示談金受領に関する一切の件を委任する旨の委任状の委任者欄に花子の住所氏名を記入してこれを偽造し、同年一一月五日、直井とともに被控訴人大東京火災大阪支店に赴いた。同支店には、渕田及びその上司、石原が待機し、太郎から右委任状、印鑑証明書、住民票を受け取るとともに、太郎との間で、本件示談契約の内容、示談金の振込先(太郎の取引銀行)を確認した上、その場で本件示談契約の内容を記載した示談書を作成するにいたった。
(8) その際、被控訴人大東京火災の担当者である渕田や石原らは、控訴人の父である太郎みずからが出向いてきて本件示談の内容を確認したこと、花子名義の右委任状を太郎が持参したこと、示談金の振込先が直井ではなくて太郎の取引銀行となっていたこと、太郎が花子に無断で本件示談契約を締結するとか、花子名義の委任状を偽造したとかを告げたり示唆したりしたようなことは全くなく、また、特に不審な言動もなかったことから、花子も本件示談に同意しているものと信じ、何らの疑念も懐かなかった。
(9) 被控訴人尾崎電気及び被控訴人大東京火災が前記のとおり本件示談金を太郎の銀行口座に振り込んで支払ったのは、右のようにして示談が成立したことに基づくものである。
(10) 石原は、本件示談契約が成立し、示談金の支払も完了した後である同年一一月二四日、太郎から本件示談契約は花子に無断で締結したものである旨を打ち明けられて、本件示談契約に花子の同意がなかったことを始めて知ったが、そのことが露見すると家庭内が揉めるので、示談は未了であり被控訴人らの提示している示談金額は一〇〇〇万円である旨を花子に説明して取り繕ってほしい旨同人から懇願されたため、やむなく同日花子のもとを訪れ、そのとおりの説明をして事実を隠蔽した。そのため花子は、本件示談契約が締結されたことを知らず、昭和五七年三月一二日になってはじめてそのことを聞知するとともに、示談金もすでに太郎に支払われて費消されてしまっていることを知り、そのことが原因となってやがて同年一〇月四日太郎と離婚するにいたった。
以上の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》
右認定の事実によれば、太郎が自己又は第三者の利益を図る目的で本件示談金を受領するものであることを被控訴人大東京火災らにおいて知り得べかりし状況にあったものとはとうてい認めることができず、右示談金の振込先が太郎の取引銀行であったことや、直井がいわゆる示談屋ではないかとの疑いを持った石原が花子に対し将来示談が成立した場合の示談金の振込先を直井のではなくて花子の銀行預金口座にした方がよい旨忠告したことがあったことなどがそのような状況に当たるものと認めることができないことはいうまでもないところである。
そして、本件全証拠を検討しても、他に太郎による本件示談金の受領を無効とすべき特段の事情があるものと認めることはできない。
そうすると、控訴人が本件において主張する損害及びその額がすべて認められたとしても、本件示談金支払(これが本件事故によって控訴人の被った損害の賠償であることは前認定の事実関係から明らかである)の受領の効力は控訴人にも及び、これによって右損害はすべて填補されたものといわなければならないから、控訴人の被控訴人らに対する本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないことに帰するというべきである。
三 以上の次第で、控訴人の被控訴人らに対する本件請求はすべて理由がないというべきところ、原判決は、被控訴人尾崎電気に対し、未払治療費として一万九一四一円及びこれに対する本件事故日の翌日である昭和五六年六月一五日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を命じているのであるが、右部分については、同被控訴人から不服の申立てがなく、原判決を控訴人に不利益に変更することは許されないので、民訴法三八四条により本件控訴を棄却するのにとどめることとし、控訴費用の負担につき同法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 藤原弘道 裁判官 辰巳和男 山口幸雄)